[ff15感想]ノクトの人生が可哀そうな件、お供らの圧力で王様と生贄をこなす

ファイナルファンタジー15を2017年始にクリアしました。クリア後の感想は「ノクトの人生ってやっぱつれぇわ…。」です。クリア後しばらく経ってもモヤモヤした気持ちが晴れないので原因を突き止めるべく書き残します。以下ネタバレ注意です。

ノクトは生まれながらの生贄

ファイナルファンタジー15で主人公のノクトはクリスタルっていう聖石に選ばれてインソムニアの王子になったという設定です。インソムニア王国の王様は自分の寿命を使って国を守っているため早死にする傾向があるのよ。もうその設定時点で早死に確定だからインソムニア王子に選ばれるのがうれしくないよね。

ゲーム中ではあんまり細かい設定が語られていませんが、ノクトの父親であるレギス王は自分が最後の王様で、ノクトは世界を闇に落とそうとする敵を封じ込めるための存在であることがわかっているようです。つまり、ノクトは敵と戦って死ぬ運命を知っているわけです。

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ノクトが戦って勝つ、というより命と引き換えに封じ込めている

ff15

13章あたりでクリスタルに取り込まれたノクトがバハムートに「命を投げ出さないとアーデンを倒せない」みたいなことを吹き込んできます。アーデンって物理的に倒してもまた生き返ってくるようなゾンビなので死の世界まで追っていく必要があって、ノクトも体を捨てて(命を捨てて)戦う羽目になるんですよ。

ノクトはみんなの期待に応えただけ

ファイナルファンタジー15の描写の仕方なのかもしれませんが、ノクト自身が決断して戦っている感じがしません。周りのお供3人からヤイヤイ言われて行動している感じもするし、アーデンを完全に倒すための方法もバハムートが言った通りに行動します。命を投げ出して倒せと言われて(確実に助からないことが分かっている)簡単に納得できないと思うんですよね。

そのへんの葛藤が「やっぱつれぇわ」に凝縮されている…とは思います。けどもうちょっと方法を模索するとか…なんていうかあがき具合が足りないんです。ドラクエとかだと倒すための武器を揃えて~とかウキウキ、イケイケな雰囲気なんですが、このff15はなんかもう人柱になりに行く感じです。

仲間からの無言の圧力

やっぱつれぇわ、と言いながらも最後の決戦に赴けたのはイグニス、グラディオ、プロンプトのお陰だと思います。仲間の支えあってこそ、そんな友情を描きたかったのかもしれません。

けどさ、ファイナルファンタジー15関連のアニメで小さいころからのノクトの暮らしぶりを見ると、お供2人(イグニス、グラディオ)からははっきりと次期王様としての期待を受けているのが分かります。王様としての生き方、感じ方以外は認めない雰囲気です。基本、ノクトの周りにはノクトを人間扱いしてくれる人はいないのね。ひたすら王様としての役割を期待しています。

そんな中で育ったせいなのか、最後の決戦にお供に背中を押されて闘いに行きます。ねぇ、ノクトは本当はどうしたかったの?なんだか、しなければいけないっていう義務感ばかり感じた決戦でした。

エヴァンゲリオンのシンジくんとの違い

同じように世界を救ったりできる立場にあるエバンゲリオンのシンジとノクトの違いが面白いな、と思いました。シンジはノクトみたいな義務感から徹底的に逃げていますよね。エヴァに乗れとか、姫を救えとか言われたって自分がどうしたいかに徹底的に忠実です。

ノクトの場合、ファントムソードを集めろとか6神に啓示を受けろとか言われたらちゃんと実行しています。プレイしていると「王様としての自覚」から行動しているんだろうな、と思いますがノクト自身がどう思っているのかわからなすぎて痛々しいです。ff15がぼろくそ言われる所以はこのあたりの感情移入できなさ、に依るものだと思います。

ff15のストーリーをもっとよく知りたいなら

に年表などが載っているので読んでみてください。攻略としてだけでなく読み物として面白いです。

ノクトは現代社会の人身御供っぽい

古来の儀式に川が氾濫するから川の神様に捧げる人柱を捧げる…とか、雨が降らないから祭壇に人身御供を供える、という話があります。ff15ってそんな話になぞらえているような演出です。

戦闘シーンはもちろんあるのですが、ノクトの人の域を超えた力は

  • 6神からの啓示
  • 歴代王からの剣
  • 魔法の指輪

などで巫女(…男なので巫覡(ふげき)とか禰宜(ねぎ)とかそれこそカンナギと呼ばれるらしいですね)っぽい力の授かりかたをしています。14章あたりで歴代王に刺されるシーンは闘いというより儀式そのものです。

期待に応えることを要求される現代そっくり

今の時代って「空気読め」とか「場の流れの雰囲気で」とかいう、全体がまとまることがすべてみたいな風潮です。個人の考えとか希望よりも全体の中での役割をこなすことが大事なんですよね。ff15での全体の空気を作っているのがお供の3人で、王様としての自意識とか強くならなきゃとか14章くらいまで意識させられます。3人に「陛下」と呼ばれてやっと認められた感がする、なんてよく考えたら嫌な演出ですよ…。

ノクトの1人旅ができるバグがあるようです。1人旅ならヤイヤイ言われることもないのでプレイ感想も違うはず…。イグニス事故後に沸き起こるグラディオへの殺意も起きないはず。

王様やりたくないノクトの自意識の描かれ方

ノクトの場合は王様という「逃れられない役割」がはっきりしています。王様を辞めるなんて選択肢はなくて、ただ期待されたことをこなすだけです。ff15関連のアニメではノクトがその期待に応える苦悩が少し描かれています。

ff15はエピソードとしての演出が少なすぎて感情移入しにくい部分がありますが、「役割をこなしていく」という重苦しさを感じました。ただ人によっては期待されたことに応えることで充実するタイプの人もいると思います。そういう人はff15をプレイすると重苦しさよりもキチンとこなした感を感じられるんじゃないでしょうか。子供さんなんかは筋書きがよくわからないままクリアしちゃうと思います。

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