小室哲哉という才能を同調圧力で潰すのはどうなんだ

小室哲哉が不倫で文春につかまり、引退を宣言してしまいました。この成り行きを個人的には「無理もない」と思いましたが、この世の風潮は果たしていかがなものかと感じます。

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不倫はいけないものだから 罰せられて当然

道理的に不倫はいけないことなので 、やっている人間は非難されて 当然 なのかもしれません 。 もし自分の配偶者が 不倫することに全然抵抗がない人だったら 自分の社会生活に対する補償や信頼などは 一体何の上に成り立つのでしょうか。

そういった意味で不倫をする人間というのはあらゆる攻撃にあっても、 誰からも擁護してもらえないのかもしれません。

不倫が許せない立場の人

不倫が許せない人というのは 結婚制度によって自分の立場が守られている人達だと思います。 特に結婚している人 、 専業主婦の人が 不倫に対して厳しい態度をとると思います。

というのもこの人たちは 結婚制度によって自分の社会的立場を保っているからです。 生活費の全てを夫の収入に依存している場合は、夫が不倫をしてしまうと生活できなくなってしまいます。

不倫 をしている芸能人は沢山いる

小室哲哉に限らず、不倫をしている芸能人は他にもたくさんいます。 不倫は文化という発言をした人とか 妻に不倫を責められて 意気消沈ゴリラになる芸能人とか 。 これらの人たちに与えられた社会的制裁は 強い非難から 、 まぁしょうがないかと言う 理解までいろいろです 。

女性有名人の方が致命的

特に女性芸能人に対しては不倫に対する 避難が強くなると思います。 いい子キャラで売っていた芸能人とか 、 アイドルグループで 人気だった タレントとか 相当なイメージダウンになって 仕事が 減らされたり汚れ仕事ばかりになってしまいました。

不倫をする女は不幸になって当たり前という心理

これはやっぱりテレビを見る 人達から 反発されているんだと思います。 夫に不倫されると立場が危うくなる主婦層が 簡単に不倫をやってのける 女性タレントを好きになるはずがありません。

そんな不倫するような奴は 芸能界のおもちゃになっても構わない、 そんな心理が不倫をした女性タレントに 与えられる仕事に象徴されているんだと思います 。

小室哲哉の場合

同じように小室哲哉も 不倫をしたと言われていますが どんな社会的制裁が与えられるのか 観察してみました。

介護をしてるのにひどいという非難

小室哲哉は妻である keikoを介護している 身でありながら 自分勝手に不倫をしたと 非難されました 。また一方で介護は大変だから 少しぐらいの息抜きも仕方がないというような養護の意見もありました。

keikoが介護不十分で 虐待されているという話も聞かないし 、不倫をしたとしてもそれなりに段取りを踏んで行っていたんだと思います 。 そういう点では放置していない分、 愛情が全くなくなったわけではなさそうです。

小室哲哉の 恋愛遍歴

そもそも小室哲哉自体が まともな結婚ができるとも思えません 。 好きになってしまえば一途で一直線な 感じがしますが 、簡単に言えば 次々に相手を乗り換えるような人だったように思います。

けれど本当に小室哲哉がkeikoへの愛情がなかったなら、 keikoが病気になった時点で乗り換えているはずでしょう。keikoの介護をしつつ、不倫していたのならkeikoへの愛情が全く醒めているわけでは無く、遊びのような気がしますが、不倫に遊びも本気も無いのでやっぱり小室哲哉の性格的な問題な気がします。

結婚する前から、もとはと言えばkeikoだって小室哲哉のフラフラする恋愛性質が原因で結婚にまで至ったわけなので、不倫のひとつやふたつ、あったとしても不思議じゃありません。

引退を決めた理由を想像してみた

私の全くの想像で 引退の理由を考えてみました。 小室哲哉の不倫が報じられて間もなく 引退を表明してしまった小室哲哉ですが 、 どんな理由が考えられるでしょうか。

  • 周囲の人に 私生活を色々と言われたくない
  • 実際に不倫に踏み切ろうとしていた自分が 見透かされたから
  • 芸能界というところがつくづく嫌になったから
  • 週刊誌に追われることなく落ち着いた暮らしがしたかったから
  • 身近な人達から色々と責められたから
  • 相手の不倫相手の女性をかばいたかったから

色々と理由は考えられますが とにかく 、 音楽活動や芸能活動をすることよりも煩わしさの方が勝ってしまったため引退を決断してしまったんだと思います。

瀬戸内寂聴はどうなんだ

不倫をしても全然元気に 働いていて、 しかも 不倫したこと自体をプラスに変えている人がいます 。今は僧侶として活躍している小説家の瀬戸内寂聴です 。 この人は「不倫がなかったら世の中にある文学的な名作は生まれていない」と言い切っています。 不倫があるからこそ文学が生まれているという考えです。

自分の不倫を小説という形にして自分を正当化するやり方はどうなんだ? とも思いますが その苦しみを昇華する過程で生まれる作品はなかなか読み応えがあるものになっています 。

乱暴な言い方をするなら、瀬戸内寂聴が許されるなら良い作品を作り続ける以上は小室哲哉のも許されても良いような気がします。その辺は文学か?音楽か?の重みの差なんでしょうか。

小説が書けなかったら瀬戸内寂聴の価値は…?

私が考えるに、不倫でなくても何かの苦しみから作品へ昇華する 、 それができるのが 芸術活動に携わっている人達だと思います。 瀬戸内寂聴が 小説が書けなかったら 一体何の価値があるというのでしょうか。

単なる家庭を捨てて不倫に走った 悪い女 として評価されてしまうと思います 。 つまり作家たるもの作品の評価がその人の全て 、みたいなところがあると思います。 良い作品ができればその人の性格や私生活までは非難されない 、というのが今までの 文化だったように思います。

作家を大事にしない現代

中世や江戸時代とかの方が 物を作る人が大事にされていたと思います。 そもそも時代自体が 不倫などに寛容ということもあるだろうし 、 パトロンがいて作家を囲っていたかどうかはわかりませんが 、 現在よりも過去の方が 芸術家たちは生きやすかったように感じます。

… と言うか昔の方がずば抜けた才能がないと 作家として生き抜けないと思うので 、才能に満ちていて 生き残れる人の場合 、不倫やら性格の悪さには目をつぶってもらえたのかもしれません。

現代の場合 、ちょっと成功すると その人の私生活や人となり 、 性格までも掘り起こされて少しでも 欠点となる場所があればとことん潰されてしまうような印象があります。

隙を見せない人は芝居がかる

フィギュアスケートの 羽生結弦はいつでも芝居がかってるように見えますが 、 これだけ周囲の人から 逐一チェックされているなら羽生結弦というキャラクターを 演じなければいけないというプレッシャーがかなり強いと思います。少しでもボロを出せば 二度と這い上がって来れないというのを過去の人から学んでいるの だと思います 。

みんなの苦労と同調圧力

現代は特に 聖人君子のような人物を求められすぎだと思います。 みんなそれぞれ能力も個性も違うのに 誰もが聖人君子のような性格になれるわけがありません。 苦労して 卑屈になった人や 友人に恵まれなくて 暗い性格になってしまった人は、その性格だけでまるっきり人生自体がうまくいかないかのようなレッテルを貼られてしまいます。 しかもその評価が一生涯続いてしまいます。

嘘でも好青年と良い子になったほうが得

入社試験では 好青年家美女 ばかりがもてはやされ 、 自分の本来の個性を隠してでも いい人間に振る舞うことが要求されています。 そんな時代背景から考えると有名人の立場で不倫ができるというのは 感覚的に許されないことなんだと思います。 普通の人が社会で生きていくだけでも 良い人間であることを普通に求められるのに、芸能人のような 才能がある人たちが好き勝手をやっていれば 反発心が出るのも普通の感情だと思います 。

つまり「 自分は生きるだけでもこんなに苦労しているのに 、 お前は才能があるだけで お咎めなしなんて許せない」 そんな心理があるのではないでしょうか。

文化も経済も衰退するのでは

小室哲哉の不倫に限らず 、 実際は会社の中でもこのような制裁が下されているのではないかと思います。 新入社員がいくら画期的なアイデアを 発表しても 「 俺と同じような苦労をしてから 発言しろ 、 意見するのは10年早い 」 などと評価されて いいアイデアも流れていってしまっているのかもしれません。

現場の責任を一手に担っている管理者も「 くだらない雑談ばかりする 、 飲みに行こうと誘われてうざい 」 と嫌われてしまい チームとしての団結力も薄くなっていることもあるでしょう。要するに部下達にとって尊敬できる人物でなければ、話も聞いてもらえないのは立場の上下など関係なく起きていることです。

みんな誰もが非難されるのが怖い

この 現代の根底にあるものは 「いい人ばかりを求められすぎて、そうではない 自分が非難されるのが怖い」という心理があると思います。 全く付け入る隙がなく完璧な人間でなければ 仕事で活躍したり、生きていくことすら ままならない 環境になっていると感じます。

こんな中では冒険しようとか新しいことを始めようとする人が少なくなるのは当たり前だと思います。 SNS やネットの普及で 個人の悪い噂ですら すぐに広まってしまいます 。

やりたいことをするなら表舞台から降りたほうがやりやすい

もし自分がしたいことをしたいようにするなら SNS から自分を断ち切って 他人の評価を気にしないようにしなければ 、自分自身が 周囲からのプレッシャーによって潰されてしまいます。

一昔前は皆の先陣を切っていく人はどんな嫌な奴でも重宝されたかもしれませんが、今の時代、先を行く人間は痛くも無い腹を探られたり、あら捜しされたりと大変な目に合います。

私は小室哲哉が引退した理由はこの辺にあると思います。 自分が追求したい音楽、自分が会いたい人に会うためには 世間から離れて世捨て人のようになるのが一番簡単な方法になってしまいました。

小室哲哉は前線で戦えると思う

肝心の小室哲哉の音楽的才能について、最後にまとめようと思います。最近の音楽活動で印象にあるのは仮面ライダーの主題歌でしょうか。

浅倉大介と女性ボーカリストとのコラボらしいですが、この曲を聞く限りまだまだ最前線で曲作りができると思います。

パンドラでの活躍をまだ見られると思っていたのに残念です。

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